泉鏡花ゆかりの寺

泉鏡花の絶筆『縷紅新草(るこうしんそう)』の舞台

蓮昌寺は、泉鏡花の小説『縷紅新草』の舞台としても知られています。昭和14(1939)年7月、鏡花が亡くなる2カ月前に「中央公論」に発表。鏡花最後の作品、絶筆となりました。

鏡花の生家は日蓮宗であったために、ゆかりの寺はほぼ日蓮宗系です。鏡花は10歳の時に母を亡くしましたが、蓮昌寺は、母亡き後、無名時代の鏡花を親身になって助けた、従妹の目細照の菩提寺でもあります。

題名の『縷紅新草』は、夏に小さな赤い花を咲かせる縷紅草に”新”を加えて鏡花が作り出したもので、作品に登場する女性を連想させています。


小説は、悲劇的な運命を背負った、ひとりの女性にまつわる唄から始まります。鏡花自身をモデルにしたと思われる主人公が、親戚の娘と二人で墓参りに向かう道中、様々な過去の場面を回想していきます。リズムのある会話文が心地よい短編作品です。鏡花ならではの幻想的な世界に、三島由起夫は「神仙の域に達している」と驚嘆しました。


「燈籠寺」として親しまれてきました

蓮昌寺は『縷紅新草』の中では「仙昌寺」と称され、別名「燈籠寺」とも書かれています。小説の通り「いつの年も、盂蘭盆に墓地へ燈籠を供えて、心ばかりか小さな燈を灯す」ところから、古くから燈籠寺の別名で親しまれ、その名を知らぬ者は界隈にはいませんでした。

小説では、夏の夜の美しい切燈籠の灯りの描写はさらに続いています。「十三日、迎火を焚く夜からは、寺々の卵塔は申すまでもない、野に山に、標石、奥津城のある処、昔を今に思い出したような無縁墓、古塚までも、かすかなしめっぽい苔の花が、ちらちらと切燈籠に咲いて、地の下の、仄白い寂しい亡霊の道が、草がくれ木の葉がくれに、暗夜には著く、月には幽けく、冥々として顕われる。中でも裏山の峰に近い、この寺の墓場の丘の頂に、一樹、榎の大木が聳えて、その梢に掛ける高燈籠が、市街の広場、辻、小路。池、沼のほとり、大川縁。一里西に遠い荒海の上からも、望めば、仰げば、佇めば、みな空に、面影に立って見えるので、名に呼んで知られている」


鏡花の生家のある下新町辺りから見ると、浅野川の向こう岸には、蓮昌寺のある山麓寺院群を擁する卯辰山が優しい姿で横たわっています。蓮昌寺から更に登ると、鏡花の母が埋葬された地、卯辰山があります。「燈籠寺」の幻想的な世界は、母的な世界、母性へと連なっています。


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