蓮昌寺ゆかりの人

蕉門の俳人秋之坊ゆかりの寺

蓮昌寺の境内には、蕉門の俳人秋之坊の碑があります。秋之坊は、元禄2(1689)年、芭蕉が『奥の細道』で金沢を訪れた折りに、弟子になりました。

もとは前田藩の武士でしたが、髪を剃って武士を捨て秋之坊と称し、蓮昌寺内の塔頭「實教院」で僧、寂光として止宿しました。實教院には秋之坊をはじめ14人が住み込んでいたと言われています。

友人の李東はその様子を
窓ひとつ ありとて暮る春日哉
と詠んでいます。

秋之坊は俳諧を以て諸国を漫遊、風流の奇人としても知られています。炭が無くて困った時も
寒ければ 山より下を飛ぶ雁に物打になふ 人ぞ恋しき
と、中に「炭」の字を隠した句を友人に贈り、炭を乞うたそうです。
享保3(1718)年、
正月四日 よろず此の世を去るによし
の句を遺して亡くなりました。その墓碑は蓮昌寺境内にあります。


甲賀五十三家のひとつ多羅尾家の菩提寺

蓮昌寺の檀家には、3代藩主利常の正室、珠姫(天徳院)が江戸から入輿の際、将軍家から警固を命じられて派遣されてきた甲賀五十三家のひとつ、多羅尾家があります。

多羅尾家は本能寺の変に際し、堺の遊覧から帰国の途にあった徳川家康を居宅に守護し、いわゆる「伊賀越え」を導いた功績により家康に召し出され、仕えました。


ページの上部へ